メルケルの「転向」
ドイツ連邦議会は、2011年6月30日に原子力法の改正案を可決し、2022年12月31日までに原子力発電所を完全に廃止することを決定した。
物理学の世界から政界に転じたという異色の経歴を持つメルケル首相は、原子力の擁護派であった。2010年秋に打ち出した長期エネルギー戦略の中では、原子力は再生可能エネルギーが普及するまで、過渡期のエネルギーとして必要だと主張していた。
しかし、メルケルは福島原発事故後、立場を180度転換させ、31年以上動いていた7基の原子炉を直ちに停止させた。これ以降、経済的に悪影響を与えない限り、原子力をできるだけ早く廃止すべきだと主張し始める。
メルケルは、事故以降、原子力擁護に固執することは政治的な自殺行為に等しいと考えた。東日本大震災の約2週間後には、ドイツ南西部の保守王国バーデン・ヴュルテンベルク州の州議会選挙で、環境政党が脱原発を争点に圧勝。事故以後、ベルリンやミュンヘンなどの大都市で25万人が参加する反原発デモが繰り広げられた。この挙国一致的な反原発ムードに、メルケルは「転向」せざるを得なかった。
リスク評価の限界
ドイツが原子炉全廃に踏み切ったリスク判断には、「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」のまとめた提言書が重要な役割を果たした。倫理委員会は、社会学者や哲学者、宗教関係者など原子力技術のプロではない人々で構成される。
倫理委員会は「リスクの分析を、純粋に技術的な側面だけに限ることは誤りだ」と断言。技術者の想定能力には限界があるため、原子力発電所のリスク評価には、社会的な側面にも注意すべきだと訴えた。
そして、倫理委員会は、細かいデータやシュミレーションで裏打ちされた分析結果なく、原子力発電をやめるべきだと結論付けた。
ドイツ人の悲観主義
倫理委員会の提言に基づき、首相はそれを実行した。そこには「原子力のリスクは安全に制御できない」という、ドイツ人独特の悲観主義がある。南欧の人々が概して楽天的であるのに対し、ドイツ人は悲観的な人が多い。その理由には次の説がある。
・過去に起きた破局の記憶
中世のペスト、第二次世界大戦などに関する記憶が、人々の潜在意識の中に沈殿している。
・危険や脅威が少ない環境で豊かな暮らしをしているため
今日のドイツは、危険や脅威にさらされる度合いが世界で最も低い国の1つである。そのため、ささいなことで不安に陥りやすい。
ドイツ人の人生哲学は「はじめにリスクありき」である。彼らのリスク対応の特徴は「行動」すること。リスクを発見した場合、それを無視せず、リスクを最小限にするため積極的に行動する。
ドイツ人がリスクに敏感なのは、彼らが批判的な性格を持ち、将来に悲観的であるからである。