自分の足で立って生きよ
・渋沢栄一
およそ人は自主独立すべきものである。すなわち自営自活の精神は、実に同胞相愛の至情とともに、人生の根本をなすものである。
・渋沢健
人はみな、自立して生きるべきである。自立し、自活しようとする心こそが、人への思いやりとともに、人生の基盤になるものなのだ。
弱者や敗者だって、自分の人生の主役として生きる義務も権利も持っている。彼らを永遠に保護するより、自立支援を行うべきである。自立を助ける精神こそが、お互いを尊重し、真心を持って向き合う心に他ならない。
自分の天命を知ろう
・渋沢栄一
されば孔子がいわれた「罪を天に獲る」とは、無理なまねをして不自然の行動に出ずるという意味であろうかと思う。
・渋沢健
孔子が言った「罪を天に獲る」とは「本来の自分にそぐわない行動をとったり、無謀な野望を抱いたりしても、うまくはいかない」という意味だろうと思う。
自然に季節が流れるように、人にもそれぞれ定められた運命、使命がある。したがって、自分の天命を知ることがとても大切になる。それに逆らうと、天罰により、苦痛を感じるようになる。
常識とは
・渋沢栄一
「智」「情」「意」の三者が各々権衡を保ち、平等に発展したものが完全の常識であろう。
・渋沢健
知恵、情愛、そして意思。この3つをバランスよく育て、備えていること、それが”完全なる常識がある”ということである。
知恵が泣ければ、物事の善悪の見極めも、利害損得の判断も、因果関係の推測もできない。しかし、知恵は悪用されることがある。この知恵の極端な動きを調和するのが情愛である。けれども、情愛も行き過ぎると判断が鈍る。それをコントロールするのに必要なのが、意思なのである。
優れた人は静と動を両立させる
・渋沢栄一
真の智者には、動中おのずから静があり、真の仁者には、静中おのずから動がある。
・渋沢健
本当に賢い人は、行動しながらも常に思考している。本当に思いやりのある人は、黙っているようでも、常に思いやりを行動に移している。
「考えること」と「行動すること」はまったく別のものと考えがちであるが、この2つは表裏一体である。両立してこそ、意味がある。
人の本質を見抜くには、視て、観て、察する
・渋沢栄一
視、観、察の三つを以って人を識別せねばならぬ。
・渋沢健
人を見るには、眼で視て、頭で観得して、心で察しなければいけない。
人をよく視ていれば、立ち振る舞いから行為(外面)が分かる。次に、その人をよく観てみれば、その動機(内面)が分かる。さらに、その人をよく察してみれば、その人が何を望み、どうすれば喜び満足するか(さらに深い内面)が分かる。人は、本心や行動を隠すことはできない。