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2012/06/08更新

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)

190分

5P

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贈与は税に転化した

中世、贈与は税へと転化していった。神仏への贈与は、神領・寺領の称号を得て、自らの所領支配を守る目的で行われた。人への贈与は、諸大名から将軍への贈与がある。諸大名は幕府財政の分担金を納めた。やがて、これら贈与は税に転化し、世俗化していく。

贈与が税に転化した原因には、「例」や「先例」と呼ばれたものの持つ拘束力がある。中世においては「先例」、つまり昔から連綿と続いてきたことこそが一般に「善いこと」とされた。いったん贈与を行ってしまえば、それが「先例」となって贈与を継続しなければならなくなる。

中世の日本は、文書の発給や訴訟など様々な場面で礼銭=非公式の手数料が求められた。公式な手数料というものがなかったため、礼銭で報いるしかない。これは賄賂と区別のしようがないものである。そして、恒例化した贈与はもはや「賄賂」ではなく、当然の報酬になる。

礼銭が「定例」化した途端、その任意性は失われ、贈り物は贈与者にとっては義務、受贈者にとっては権利として安定化した。贈与する側は、不用意に贈与を行えば、税に転化してしまう危険性を常に抱えていた。

中世の贈与経済

「先例」の拘束力は贈り物の品目や数量にもおよんだ。前と異なる品目を贈ったり、数量を減らしたりすると、受贈者側は不満を覚え、あからさまに抗議に出る者もいた。

もちろん、中世にも、心がこもった贈り物というものが全く存在しなかった訳ではない。しかし、多くの場合、贈与は定型化、ルーティーン化した行動様式として存在していた。

中世の贈与の非人格性は経済的な手段として利用されていく。贈られた贈答品を流用する、相殺するといったことが行われ、やがて貨幣による贈与が始まった。当時は銭を贈るといっても、いきなり現金を贈ることはせず、大抵は金額を記した折紙(目録)を贈り、あとから現金を届けるのが普通であった。この折紙のシステムは、15世紀の100年間に限られたが、折紙(目録)自体の慣習は現代まで残っている。

中世社会において、贈与経済は市場経済の影響を受けて変質した訳ではない。共通の功利主義的精神が、一方で贈与経済、他方で市場経済の領域に進化をもたらした。危機はどちらにも訪れたが、贈与経済だけが廃れる。
贈与には、功利主義との間に譲れぬ一線というものがあった。これが市場経済との決定的な違いである。

贈与の本来の意義が、人と人、集団と集団が良好な関係を持続してゆくためのコミュニケーション手段であったとすると、中世の贈与はそこからかけ離れてしまった。日本の贈与が義理や虚礼、賄賂といった負のイメージをまとい続けるのは、その記憶なのだろう。