君主論とは
『君主論』とは500年前にフィレンツェの官僚であったニッコロ・マキアヴェッリが、これから君主になる人に向けて書いたリーダー論である。マキアヴェッリの時代、君主は清く正しく生き、慈愛に満ちた人物であれ、と説かれていた。しかし、マキアヴェッリはそのような建前をぶち壊し、「君主が清く正しく生きるなんてムリ」と本音を言ってしまったのである。
マキアヴェッリは、高潔な人格を守るのはむしろ有害だと論じている。君主は国を維持するために、信義に反したり、慈悲に背いたり、人間味を失ったり、宗教に背く行為をも、たびたびやらねばならない。従って運命や事態の変化に対し、変幻自在の心構えを持つ必要があるとした。
『君主論』は官僚であるマキアヴェッリがメディチ家という君主に仕えたくて書いた、就活中の小論文である。君主の恩恵に与ろうとするなら、宝石や名馬などの献上品を差し上げるものだが、マキアヴェッリには何もない。そこで今までの経験や歴史から学んだ知識を売りにした。
しかし、結局『君主論』を新しい国の君主は読みもしなかった。よって就職も果たせなかった。
君主論はこれだけ知れば大丈夫
「幾人かの賢人を集めて話を聞く」
リーダーにとって、へつらう者を避ける事は重要である。そのために賢人にだけ真実を話す。
成毛流:イエスマンは数が多ければ多い程、自分の感性を鈍らせる
「すぐれた君主ほど、けちだ」
成毛流:経営者にとって、けちと言われるのは褒め言葉である
「恐れられることと愛されること、どちらがよいか」
そもそも人間は恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者である。恩義があっても簡単に裏切ってしまうが、恐れている相手のことは、見離すことができない。
成毛流:ちょっと愛され、たくさん恐れられる人物がリーダーにふさわしい
「人は常に見た目の印象と結果だけで判断される」
成毛流:敗者の言い訳は誰も聞かない
「気概がなければチャンスがあっても無意味だ」
成毛流:チャンスはハングリーの網でつかまえろ!
「君主は常に本道を忘れるな」
君主の本道は軍事であり、それ以外の優雅な道に心を向けてはいけない。常に非常時を想定し、訓練をしなければならない。
成毛流:1日3回、「本道は何か」を考えろ
「君主は、敵味方をためらいなく打ち出すこと」
成毛流:敵か味方か。「その他」はなし
「決断力のない君主は中立の道を選び、滅んでいく」
成毛流:決断力のない人間は、奴隷として生きるしかない
「悪徳のようなことで、安全と繁栄がもたらされる場合がある」
道理に反するように見えても、それが必要な時は構わず実行するべきである。
成毛流:あまりにもきれいすぎる水には魚は住まない