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2012/01/08更新

暇と退屈の倫理学

359分

5P

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人間の本質

人間は退屈に耐えられないから気晴らしを求める。さらに人間は気晴らしの対象が手に入れば、幸福になれると思い込んでいる。退屈というのは、人間が振り払うことができない「病」である。この病は賭け事のように熱中できるものがあれば、簡単に避けられるが、これは自分をだましているに過ぎない。

退屈の反対は、快楽ではなく興奮である。人間が求めているのは楽しいことではなく、興奮できることである。人は退屈ゆえに興奮を求めてしまう。つまり、幸福な人とは、楽しみ・快楽を既に得ている人ではなく、楽しみ・快楽を求めることができる人である。

退屈とは何か

退屈の形式は3つに分けられる。

①何かによって退屈させられること
物が言う事を聴いてくれないため、空虚放置され、そこにぐずつく時間による引き止めが発生する。
②何かに際して退屈すること
本来、退屈を払いのける「気晴らし」そのものから退屈が発生する。
③なんとなく退屈すること

①の退屈を感じるのは、③の「なんとなく退屈だ」という声から逃れるため、何かやるべき仕事を探そうとして発生する。②も同様に③から逃れるための「気晴らし」そのものが発端となる。人間は概ね②の退屈を生きている。時折、何らかの理由で①の構造に逃げ込む。それが人間の生である。

人間は1万年前に定住生活するまで、遊動生活を送っており、環境変化に対応するように脳が発達してきた。しかし、定住生活をするに至り、新しいものとの出会いが制限され、探索能力を絶えず活用する必要がなくなると、能力が余ってしまった。この能力の余りは文明の発展をもたらしたが、同時に退屈の可能性を与えた。
人が「なんとなく退屈だ」と感じるのは、人間の能力が発達してきた証である。

結論〜いかに生きるべきか〜

①こうしなければ、ああしなければ、と思い煩う必要はない
暇や退屈がなぜ人を苦しめるのかを理解し、自分を悩ませるものについて認識を得ることで、既に何事かを成している。

②贅沢を取り戻す
贅沢とは浪費することで、必要以上に物を受け取ることである。現代社会では浪費ではなく、消費を強いられている。物の受け取りには限界があり、満足がある。しかし、消費は観念を対象としているので、いつまでも終わらない。満足を求めて、消費すればするほど、満足が遠のき退屈が現れる。物を受け取ることが、贅沢への道を開く。
物を受け取ることとは、その物を楽しむことである。衣食住や芸術、芸能、娯楽を楽しむことである。そして、物を楽しむには訓練が必要である。

③思考する
思考することによって、人は思考の対象にとりさらわれる。(没頭する)人は楽しみ、楽しむことを学ぶことで、物を考えることができるようになる。