1955年 スティーブ・ジョブスはカリフォルニア州サンフランシスコで生まれた。これ以上のことをスティーブが知ったのは成長し、成功したあとだった。
13歳のときに、スティーブは当時、コンピューターの回路図や仕様書の作成に没頭していたスティーブ・ウォズニアックと友達の紹介で出会う。スティーブとウォズニアクはいわゆる類友だった。ふたりとも孤独を好み、自己陶酔型で、他人と接点を持たず、交友範囲は狭く、運動も苦手だった。
16歳ころのスティーブは、髪を肩くらいまで伸ばし、学校にはほとんど姿を見せなかった。ウォズとブルーボックスという通信装置の開発を行う一方で、同じ学校の女生徒と付き合いはじめ、ワインを飲んだり、マリファナを吸ったりするようになる。
1972年 オレゴン州リード大学に入学。1974年頃、東洋思想に傾倒。
1976年4月1日 エイプリルフールの日に、ウォズがスティーブの説得に屈し、アップルコンピュータという会社を設立する。スティーブの同僚ロン・ウェインが10%を出資し、残りをスティーブとウォズが折半することとなった。アップルⅠを発売する。この頃から、ジョブスのふたつの性格が問題となる。ひとつは完璧癖、もうひとつはスピードへの執着だ。
1978年 スティーブの恋人クリス・アンが赤ん坊を生んだ。スティーブが必至に否定した子どもだ。アンは、スティーブの中絶依頼を拒否し、また、スティーブがいなくなることも拒否した。(後のDNA鑑定でスティーブの子どもだと判定される)
1980年 12月2週目、元ビートルズのジョン・レノンが殺された週の金曜日、アップルの株式が公開された。スティーブは偶像となった。いつのころかスティーブは、忠誠を何よりも重視するようになった。
1983年 アップル社長にジョン・スカリーが就任。その後、PC「マッキントッシュ」を発売するも販売戦略や、アップル社内の別プロジェクトの揉め事が頻発。アップルの世界は音を立てて崩れつつあった。
1985年 スティーブは自分が招聘した社長スカリーに会社を追放される。30歳のときだった。その後、ネクストを創業し、ピクサーをジョージ・ルーカスから買収する。
1996年 新しいOS、開発チームの獲得を指向していたアップル社とネクスト社の思惑が一致。アップルがネクストを買収するかたちでスティーブもアップルに復職する。
2001年 音楽管理ソフトウェア「iTunes」と携帯音楽プレーヤー「iPaod」を発表。iPodはアップル史上最大のヒットとなり、音楽業界に革命をもたらす。