アップルを去ったジョブズ
ジョブズはアップルを去った後、ネクストというコンピュータメーカーを設立する。ここで開発された次世代OS「ネクスト・ステップ」が、ジョブズ復活への一つ目の鍵だ。二つ目の鍵はピクサーだ。ジョブズはアニメーション制作会社ピクサーのCEOでもあり、名声を高める上で一役買った。
ジョブズの復帰
1996年、CEOに就任したギル・アメリオは、前CEOが傾かせた悲惨なアップルを立て直すため、ジョブズ率いるネクストの買収策を打ち出す。就任当時は、多くの戦略が入り乱れ、重役達は縄張りと予算確保に汲々とし健全化を妨げていた。また、従来からの不服従をよしとする企業文化は、彼に苦難をもたらした。
97年、アップルに復帰したジョブズは、強力なリーダーシップを発揮し、事業の選択と集中に乗り出す。PDA(携帯情報端末)という概念を生み出した「ニュートン」は、ジョブズにより葬られた。当時のアップルは自社テクノロジーを溺愛するあまり価格を高く設定し、限られた専門家に的を絞っていたためだ。研究機関「ATG」では、似たようなプロジェクトが乱立し、効率的に統率できる人間が存在しなかった。マックの互換機戦略では、パソコン市場全体でのマックのシェアよりも、マック市場でのアップルのシェアに注意を奪われるあまり、悲観的対策を布いていた。ジョブズは、ATG、互換機戦略ともに終止符を打つ。
マックOS Xの誕生
90年代半ば、マックOSはすでに旧式技術になっており、「ウィンドウズ95」への対抗策として次世代OS「コープランド」に期待がかかった。しかし、触れ込みばかりで実態のない粗悪品と見做され、開発が中止される。アップルは次世代OSの基盤としてネクストOSに望みをかけた。96年、アップルは新OS開発計画について、ネクストの技術を継承したOS「ラプソディ」と、コープランドの技術を利用した「旧マックOS」を同時に開発し統合するという戦略を打ち立てる。この戦略的成功がUNIX系コミュニティを引き込み、2003年以降出荷するマックではマックOS Xが標準装備された。
アップルの流通改革
復帰後のジョブズは、ブランド力の回復と販売網の再構築を主導した。有名な「Think different」というコピーは、アップル製品の設計者とユーザーの創造性を象徴する最良の言葉だ。アップルとマックのブランド力が次第に回復する中、流通改革が始まった。BTOの導入で強化されたオンライン型と、「store in store」戦略が展開された店舗型の2種類のチャネルを確立し、販売の最前線である店頭においてはアップルの世界観の提供に尽力することで、新規顧客の取り込みに成功した。アップルはその流通や販売においても改革を断行した。