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2011/12/18更新

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

207分

6P

  • 古典的
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ラーメンの歴史

ラーメンは、明治中期に「南京そば」として横浜や長崎の中国人居留地の屋台料理として日本に入ってきた。居留地の外に最初にできた支那そばを出す店は、1910年に浅草に登場した「来々軒」である。当時はまだ専門店ではなく中華料理店であり、メニューの一つとして支那そばを扱っていた。

戦前における支那そばは、日本人が日常的に食すものではなく、「深夜飲食の楽しみ」という遊興、または都市の下層階級にだけ根付いていた。

日本人全般の生活に支那そばが根付くようになるのは、戦後の食糧難によってである。あらゆる物資が不足した戦後、米や小麦は統制品であった。小麦は簡単に手に入るものではなかったが、米よりも入手し易かった。
また、小麦はアメリカが抱える余剰在庫の売り込み先として、日本をターゲットにしたことによっても流入した。大量に購入した小麦の使い道の一つに支那そばがあった。

やがて支那そばは、チキンラーメンが登場しCMが始まったことをきっかけに「ラーメン」という呼び名に切り替わり始めた。チキンラーメンの大ヒット以後、数々のインスタントラーメンが登場し、それは急速な都市化による「食糧難」問題を解決する手段として機能した。高度経済成長期のあらゆる局面において、ラーメンは密接に関わり、その記憶が、やがてラーメン=国民食という日本人の共通意識に結実していった。

ラーメンと愛国

グルメブームに湧き、フード系番組が登場した1990年代、ラーメン屋は、フランス料理同様に、有名店があり、有名料理人がいるジャンルになった。
1990年代半ば以降、いくつかのラーメン屋に「ラーメン道」的なたたずまいが出てくる。頭にバンダナやタオルを巻き、作務衣や手書きの漢字がプリントされたTシャツを着るようになった。こうしたイメージの源泉は、陶芸家に代表される伝統工芸職人の出で立ちである。

1990年代のラーメンの世界は、ものづくりのロールモデルとして「職人の匠」を重視する伝統職人を選んだ。ラーメンが元々持っていた中国文化の意匠はきれいに削がれ、和の意匠に塗り替えられていった。ラーメンは外来の食文化であるというルーツを隠蔽し始め、日本の伝統文化と密接につながるものであるように装い始めた。

そもそもラーメンは、日本の伝統と関係がない。しかし、ラーメン業界にとっては、それは自明のこととして「伝統の捏造」を、リアリティーショー的、遊戯的に行っているだけである。

とはいえ、ラーメンが再び魅力ある日本の歴史や伝統を呼び起こそうとする意識の媒介者となっていることは否定できない。ラーメンにナショナリズム、郷土愛といった思想が入り込んでくるのも、一度途切れた歴史や伝統を再び取り戻そうという意思なのだろう。