奇跡の転換をもたらしたiPod
2001年発表された「デジタルライフスタイル」構想に基づき発売されたiPodは、アップルに大変革をもたらす。従来はシェア3%以下のマイナーパソコンメーカーであるアップルに注目する人は少なかったが、iPodが大ヒットした今では世界的な一流ブランドとして認識されている。
アップルの歴史とジレンマ
アップルの歴史は、様々な意味から、ライバル企業より何年も前に新興市場を認識していながら、それを上手く利用できずに終わってしまうということの連続であった。製品開発で頑張っても、僅かなマックユーザーしか興味を示してくれないというジレンマと、常に戦ってきた。しかし、今やマックは世界で最も美しいウィンドウズマシンとしても人々の関心を集めている。以下に挙げた事例は、ジョブズ退任前後にアップルが抱えていたジレンマの代表例である。
アップルⅢの大失敗
アップルⅡは大成功を収めたが、アップルが生み出す製品が全て喝采を受けたわけではない。1980年に発表された後継機のアップルⅢはトラブルが頻発し、売上も惨憺たる結果に終わる。製品の形状にこだわるあまり、設計時点での技術的困難を伴っていた。その結果、アップルにとってドル箱であった既存のアップルⅡと後続機種の開発に経営資源を集中させるという名目の元、この製品は葬られた。
初代マッキントッシュ
1984年発表されたマッキントッシュは、前年に発表された草分け的コンピュータであるリサに比べ、小さく、速く、安かった。しかしながら、当初のコンセプトである「普通の人のためのコンピュータ」という目的を忘れ、高額な製品価格で提供し、予想ほどに売れなかった。皮肉なことに、初代マッキントッシュにとっての普通の人とは、かなりの富裕層であった。
通信事業のつまずき
アップルは、全世界のディーラー網のサポート費用節減を目的として、1984年には早くもオンラインの世界に足を踏み入れていた。一般消費者に対しても同様のオンラインサービスを提供するため、AOLの前身であるクォンタムとのジョイントベンチャーまで設立していたにも拘わらず、この事業から手を引くことになる。1993年には再びAOLとの共同開発に乗り出すが、その間にインターネットが破竹の勢いで発展し、独自のオンラインサービスが圧倒していたため、アップルの付け入る隙間は残されていなかった。
ジョブズが1985年にアップルを去ってからというもの、アップルは結束力ある戦略を失いつつあった。従来の組織文化と整合性のない戦略立案がアップルの業績を傾かせていたと言うことが出来る。