今読むべき優良ビジネス書が
すぐ見つかり、読んだ本を
しっかり自分の知識にするサイト

本を検索する

カテゴリーから探す

人気のタグ

お知らせ


Android無料アプリ配信中

安宅産業危機

毎日新聞の一面に「安宅アメリカに二億ドルの焦付きが発生」というスクープ記事が掲載された。安宅産業に重大な経営危機が起きている事実は、主力銀行たる住友銀行には、事前に伝えられており、著者は通算8年にわたり安宅産業の処理に忙殺されることになる。

安宅産業は、万年下位から脱出しようと、商圏拡大を目指し石油取引を始めた。安宅アメリカを通じ、NRCという製油所に設備投資し、住友銀行も安宅アメリカに1500万ドルを融資した。
NRCはオイルショックの直撃を受け、操業直後から大幅な赤字経営で破産状態になった。安宅アメリカのNRCに対する債権は約1000億円にのぼっており、95%が無担保であった。
当時の安宅産業の負債は1兆円あり、安宅産業が倒産すれば、日本経済に甚大な影響を与える恐れがあった。

安宅産業は赤字経営であり、資本金の20倍の不良債権を抱え、自主再建は不可能とされた。処理の方向性は他の商社に吸収合併してもらうしかなかった。

著者は合併先との交渉に奔走し、不良債権処理の裏方仕事に徹することになった。伊藤忠商事に安宅産業の一部は引き取られたが、多くの灰色資産が残された。資産は、受け皿会社に移され、事業再生や主要関係会社の整理に苦労することになった。

磯田一郎

著者を人事部長として入行させたのが、頭取の磯田一郎氏である。それと同時に同氏にとどめを刺したのも著者である。

磯田氏の悲願は、住友銀行を関西の銀行から東京を拠点としたトップバンクにすることであった。この頃は大蔵省により、新規の出店は厳しく規制されていた。

とにかく「大阪の銀行」と言われるのが我慢ならない磯田氏は、首都圏に店舗を持つ平和相互銀行の争奪戦に突っ込んでいった。平和相互銀行の店舗は103店と多くても、ボロ店舗ばかりで住友銀行は余計な苦労を抱え込むばかりに見えた。著者はここでも不良債権の処理を担当することになる。

平和相互銀行の買収は、株取得にイトマンファイナンスの力を頼っていた。イトマンを率いる河村良彦氏は、もともと磯田氏の子飼いのような存在だった。本件では河村氏は、磯田氏に大きな恩を売った。

その後、イトマン事件が発生した。イトマン問題は河村氏を辞任させないと解決しないと考えられたが、磯田氏はそれができなかった。そのため、問題解決には磯田氏の退任が不可欠と考えられた。著者は磯田氏の退任を求め、頭取を怒鳴りあげることまで行なった。

西川氏の哲学

・リスクを恐れ、事なかれ主義の人は支店長や部長止まりで役員にはなれない。
・80%の検討で踏み出す勇気を持つ。満点主義からは何も生み出せない。
・今やらなければならない事は、トップ自ら先頭に立ってやる。
・リーダーシップとは、直面する難題から逃げないことである。