日中国交正常化
日中国交正常化のため、田中角栄首相と大平正芳外相は中国を訪問し、周恩来らと渡り合い、1972年9月29日に日中共同声明が調印された。この交渉には、日中関係の論点が凝縮されている。
・中国の賠償請求放棄
・田中角栄の「ご迷惑」スピーチに示される歴史認識
・台湾条項
・尖閣諸島問題
田中と大平は、日米安保体制と日中関係を両立させつつ、断交後の台湾とも民間交流を続けようとした。
日中国交正常化を達成できたのは、ニクソン・ショック(ニクソン大統領の中国訪問)に象徴されるような国際環境の変化によるところが大きい。ソ連との対立を深めていた、中国も、アメリカや日本との関係改善を必要としていた。
台湾問題
日中国交正常化の外交交渉においては、台湾の扱いが重要であった。交渉にあたって周恩来は復交三原則を掲げていた。
①中華人民共和国が中国唯一の合法政府であること
②台湾は中国領の不可分な一部であること
③日華平和条約は不法であり、破棄されるべきこと
日華平和条約は、国会の議決を得て政府が批准したものであり、日本政府が中国側の見解に同意した場合、政府は国民と国会を騙し続けたことになる。そこで、日華平和条約は、国交正常化の瞬間において任務を終了したという事で理解を得る必要があった。
結果として、台湾問題は中国の内政問題であることを尊重し、「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」という大平の腹案が交渉を妥結させることになった。ポツダム宣言第八項とは、カイロ宣言を履行するという規定であり、米英中が発したカイロ宣言は、台湾を「中華民国」に返還するとしていた。周恩来は日本が、台湾独立を支持しないという事で手を打とうと納得した。
こうして、日本は日華平和条約は合法であるという主張は曲げなかった。原則重視の中国外交だが、対ソ戦略という大きな国益のために柔軟性を示したのである。
日中講和の精神
日本の国内世論が圧倒的に日中国交正常化を歓迎したのに対し、中国国内の対日感情は厳しかった。中国は賠償請求を放棄しており、やりきれない思いが中国の人心に残された。権威主義的な中国の政治体制によるところが大きいとはいえ、短期間で一気に交渉を妥結させたことで負の遺産が残った。
日中国交正常化の成り立ちは、極めて現代的な教訓を物語っており、再思三考すべき歴史である。日本人は戦争を忘れず、その事を前提に中国人が寛容の心で日本と向き合うことで、友好関係を築いていく。これが日中講和の精神だろう。