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2012/02/02更新

李健煕(イ・ゴンヒ) ──サムスンの孤独な帝王

  • 李慶植
  • 発刊:2011年4月
  • 総ページ数:423P

428分

6P

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李健煕とは

1942年、韓国南部の都市テグに三男として生まれた李健煕は、当時三星商会の経営で多忙を極めていた両親のもとを離れ、祖母に育てられた。やがてソウルの小学校に入学し両親のもとで暮らすようになると、朝鮮戦争が勃発、転校を五回経験する。

「先進国を見て学べ」という父・李秉喆の言葉で、小学校の二年間、中学校の一年間を東京で過ごし、映画に没頭する。韓国の高校ではレスリングに打ち込み、卒業後は早稲田大学を経て、米国のジョージワシントン大学経営大学院で学んだ。

1966年、サムスンの秘書室に加わり、68年にはサムスン子会社、中央マスコミの取締役となる。長男猛煕、次男晶煕、三男健煕によるサムスングループの後継者争いは1973年まで続けられたが、相次ぐ兄達の不祥事により、最終的に健煕が後継者に選ばれる。1979年には、サムスン副会長に就任した健煕であったが、実権は与えられず、依然として経営の第一線で絶大な権力を振るう父・秉喆のもとで学ぶ日々が続いた。

1987年、77年の生涯を終えた秉喆に代わって会長に就任した健煕は、93年のフランクフルト宣言を皮切りに組織改革を矢継ぎ早に断行する。97年以降、韓国は金融危機に陥るが、この機に健煕は肥大した組織を集約化し、電子事業に集中投資する。その後、サムスンは急成長を遂げ、李健煕は世界的な企業家として国内外に認知される。
2008年、不正な継承問題、脱税などの責任を取り20年間務めた会長職を辞任する。

健煕の内面

・父母の愛を知らず、同年代の友達もできなかった健煕の少年時代は孤独だった。家族と同級生から疎外され、犬とのみ心を通わしていた少年は、誰よりも人を知る勉強をした。寂しさから始まった人間観察は次第に、該当分野の第一人者への関心へと移り、後の「人材経営」「天才経営」の眼識を育てることになる。

・ 健煕は子供の頃からオタクだった。しかし、没頭する対象はひとつではなかった。電子製品や各種機械を分解し組み立てながら機能と性能を学び、純粋な珍島犬をつくるために10年以上をかけて交配を繰り返し、また日本留学の三年間では1200~1300の映画を見た。健煕は執着と没頭という自らの特性を認識し、後にサムスン改革の中心的な戦略であり、哲学となる「本質主義」を提唱する。

・健煕は日本にいたとき、日本の歴史を知るために四十五分の時代劇を45本、数十回も見ている。特に、徳川家康は30回以上も繰り返し見ており、その生涯から多くのことを学んだ。父と兄達が経営の一線で指揮するのを見つめながら、自分の番が来るのをただひたすら待ち続けた健煕の心の支えが徳川家康の次の言葉である。
「人の一生は重きを負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」