なぜ老人は才覚を失ってしまったのか
「2010年版 高齢社会白書」によれば、75歳以上の後期高齢者は2009年10月時点で1371万人、総人口の10.8%を占める。2055年には26.5%に達する。現役世代の1.3人が後期高齢者1人を支える社会になると推測されている。
そうなると、できるだけ若い世代に負担をかけないようにしようと思うはずだが、「私は老人だから、◯◯してもらって当たり前」と思っている人が多い。老化が進んだ人間は、わずかな金銭、品物から手助けに至るまで、もらうことに異常に敏感である。
昔の老人には、老いる「才覚」があった。才覚とは、今まで得たデータを駆使して、最良の結果を出そうとするシステムである。昔の人は、こういう状況の時、自分はどうすればいいか。もしこの方法がダメだったら、次はどうしたらいいか、と機転を利かせて答えを出した。
才覚のない老人が増えた原因の一つは、基本的な苦悩がなくなったからである。昔は戦争があり、食べられない貧困があり、不治の病があった。ところが今は戦争もなく、明日まで生きられるかどうかわからないという苦悩がない。
「日本は経済大国なのに、どうして豊かさが感じられないのか」と言われるが、それは貧しさを知らないため豊かさがわからないからである。今日も明日も食べ物があって当然、水道の栓をひねれば水が飲める。
原初的な不幸の姿が見えなくなったために、ありがたみがわからず、要求することが大きい老人世代ができた。
老いの才覚
老人は、以下の通り自らの才覚で生きるべきである。
①他人に依存せず、自分の才覚で生きること。自立すること
②人に何かをやってもらう時は、対価を払うこと
③遠慮すること
④死ぬまで働いて、経済的にも自立すること
⑤生きがい、目的を持つこと
⑥「何をしてもらうか」ではなく「何ができるか」を考えること
⑦子供の世話になることを期待しないこと
⑧分相応、身の丈にあった生活をすること
⑨孤独は普通だと考えて耐えること
⑩どんなことにも意味を見出し、人生を面白がること
⑪病気になっても明るく振る舞うこと。病気も込みで人生だと心構えする。
一生の間に、雨露を凌ぐ家に住んで、毎日食べるものがあるという生活ができたなら、その人の人生は基本的に「成功」である。
その家に風呂やトイレがあり、毎日乾いた布団に寝られて、ボロでもない衣服を身につけ、毎日おいしい食事をとり、病気の時には医療を受けられる生活ができれば、その人の人生は地球レベルで「かなり幸運」である。
もし、その人が好きな勉強をし、社会の一部に組み込まれて働き、愛も知り、旅行や読書、趣味を許され、家族や友達から信頼や尊敬、好意を受けたらな、それだけで人生は「大成功」だと言える。