災害ユートピアとは
災害時には人々は利他的になる。見知らぬ人同士が友達になり、力を合わせ、惜しげもなく物を分け合う。災害直後には、人々は同じ厳しい試練を生き延びたことで、互いに対し連帯感と共感を持つ。そこに人々は喜びを覚える。
一方で食糧をお互いが分け合うことと、食事を配給されることは異なる。前者は互助であり、後者は慈善である。互助の場合、人々は他人に与えることに喜びを感じ、団結が生まれる。災害の初期には組織だった支援がないため、相互扶助のコミュニティが生まれる。
災害は日常生活の疎外感と孤立感に対し、一時的な解決策を提供してくれる。災害を引き起こす自然や人的な力は敵意に満ちたものに見えるが、そこで生き延びる人々は普段より気さくで、情け深く、親切になる。災害は物理的には地獄かもしれないが、一時的ではあるが、社会的なユートピアともいえるものを出現させる。
エリートパニック
エリートは災害時にパニックを起こす。それは、解き放たれた人間は野蛮で危険だという思い込みから来る。社会的混乱に対する不安、貧乏人やマイノリティに対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、噂をもとに起こすアクションなどを想定する。
しかし、実際には被災者達のほとんどは、こうした行動は取らず、相互扶助の行動を取る。強迫観念にとらわれたエリートによって、銃を持った軍隊や警察が出動し、結果として人的被害を招いてしまったケースが、ハリケーンカトリーナの時である。この時は、マスコミも噂だけで、ニューオリンズの街は凶悪犯だらけだという、報道をしてしまった。
災害と革命
災害と革命には似た部分がある。災害によって人々は団結し、政府の対応が不味ければ、そこには無政府状態が生じる。そうした政府に対し、人々は不満を持ち、後の政権に対して影響を及ぼすことがある。メキシコでは大地震によって、市民が団結し、やがて一党支配体制を崩壊させ、複数政党による民主制へとつながった。
どのように活かすか
災害の中の喜びは、個人に向けられた愛ではなく、見知らぬ者同士の愛、自分の町に対する愛、大きな何かに帰属し、意味ある仕事をすることに対する愛からやって来る。現代社会では、このような愛は冬眠中か認められていない。むしろ日常生活こそが災難である。
問題は災害の前や過ぎ去った後に、それを利用できるかどうかである。現在の世界的な経済不況は、それ自体が広範囲な災害であるが、むしろチャンスである。
災害ユートピアは、自分たちに何ができ、何になれるかを教えてくれる。