1908年生まれ
航空宇宙評論家、エッセイスト
東京帝国大学工学部航空学科を卒業後、軍命で日本楽器製造(現ヤマハ)に赴きプロペラの設計を行う。陸軍の九七式戦闘機を担当した。
1941年、ユンカース社からフルフェザー機構・圧縮木材製プロペラ技術導入のため、大戦最中のドイツに出張。同年6月、独ソ開戦のためシベリア経由の帰路が絶たれ、1943年11月まで在独。
戦後は気象庁で風速計の開発に携わり、その後東京大学教授、日本大学教授を務めた。
『引力とのたたかい-とぶ』で日本エッセイストクラブ賞受賞。著作は専門の航空工学やロケット工学から生物学、ヨーロッパアルプスの山歩きにまで及んでいる。
晩年は航空評論家として活躍した。
日本楽器製造(現ヤマハ)
気象庁
東京大学教授
日本大学教授
1931年 東京帝国大学工学部航空学科 卒業